石徹白小学校校歌

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石徹白校校歌ビアノ伴奏(MIDIファイル)  JASRAC許諾マーク
                     JASRAC許諾番号:E0406041348
児童の歌入り校歌(2004年10月録音:WMAファイル)

・昭和14年(1939年) 校歌制定

作詞:上村重郎兵衛(西在所)の上村藤若 氏
      上村藤若 氏の略歴
       明治27年12月22日生
       昭和28年11月21日死去
       石徹白小学校卒業(明治38年)
       大野中学校卒業
       長谷川伊佐 長女 幸子と結婚
       早稲田大学英文科卒業
       日本大学政治科卒業
       東京丸の内ビル内で帝国文化協会経営
       著述出版業 
         向上の青年・向上の婦人・向上の少女・
         向上の友・村を護れ
       著書
         「宗吾甚兵衛を語る」・
         「祖国を顧みて」等がある。
 上村藤若氏は、詩人「鮎川信夫(本名:上村隆一)」の父親
作曲:石桁真礼生(いしけたまれお)
      (1915和歌山〜福井〜東京1996)
      石桁真礼生 氏の略歴
       福井師範学校男子部教官(当時)
       東京芸術大学教授
       教育芸術社の著作者の一人
       「夏は光の中」の作曲がある。

・当時は、小中併設だったので、石徹白小学校校歌でなく、石徹白校校歌となっている。
 なお、当時は福井県大野郡石徹白村立石徹白小・中学校であった。
・昭和33年(1958年)に、岐阜県郡上郡白町立石徹白小・中学校となる。
・昭和55年(1980年)に、石徹白中学校は、白鳥中学校と統合する。
・最後の「石徹白 石徹白」は、「いしどしろ いしどしろ」と歌う。
・歌詞は4番まであるが、歌唱は1番と4番だけ歌っている。


一  青雲遠く 白山の 高嶺を洗い 地に延びて
   名も九頭龍と 拓けたる 山ふところの別天地
   ここふるさとに 聳え立つ 吾等が母校
   石徹白  石徹白

鏡(拝め)
二  中居の宮に 夜は明けて 天摩の杉に 朝日さす
   御橋のたもと ひれ伏して
   神殿はるか おがみつつ
   心を磨き 気力練る 吾等が母校
   石徹白  石徹白

剣(鍛え)
三  歴史は古く 神代より 雪に閉ざされ 霜しのぎ
   正義不撓に燃えたちし 祖先忍苦の跡踏みつつ
   五体を鍛え 業励む 吾等が母校
   石徹白  石徹白

玉(学べ)
四  山紫に 水明く 松の緑を とりそえて
   名も城山の 丘の辺に 朝な夕なに 道究む
   ここなつかしの 学びの舎 吾等が母校
   石徹白  石徹白

♪石徹白で育ったぼくたち♪

石徹白小学校校章

・昭和24年(1949年) 校章制定(デザイン 上村重光 当時中学2年生)
・石徹白大杉をデザインしてある。
 なお、小中併設だったので、共通の校章は、下のものであり、中学校の校章は
 上の「小」が「中」にデザインされていた。

現在の体育館に掲げられているもの