Q 源三郎を「つかまえろ!!」といった朝倉氏は、どんな人だったか???
名前
朝倉 孝景(たかかげ)
A:四代目の殿様で、足利幕府の守護として越前に入った。越前に入って一条谷の城に住んでいました。二代目にも孝景という人がいましたが、四代目の孝景の方が、強大な武将で、すごい勢力を持っていました。大名よりすごい大大名だったそうです。。その時代の有名な、織田信長、上杉謙信、武田信玄、徳川家康ぐらいに並ぶくらいの、大きな大名でした。
石徹白源三郎さんは、どんな人だったか???
名前
石徹白源三郎胤弘 (たねひろ)
城主とした四代目の方で、大がらで力があった。
Q 首をとられた時は、どうだったのですか???
A:源三郎が西在所の乳母が住んでいる彦兵衛(今の孫兵衛門)で、休んでいました。
村人達は、朝倉氏に、「源三郎をつかまえたら、ほうびをやる。」と言われていたのでその乳母は、村人達に報告して源三郎が酒で酔いすぎて寝ている時に、乳母は、源三郎の刀を、
仏壇の裏に隠しました。外がさわがしくなって、源三郎が起きると、横にあった刀がなかったので、外に出てみると、村人達が家の周りをかこんでいました。馬の馬せん棒で村人達と戦ったけれど、追いつめられて庭の池を飛びこせれずに、池に落ちてしまい、はしごで押さえられて、首を切られました。
*
源三郎の首をとった人は、「よこや」という人です。
* 馬せん棒(ませんぼう)は、馬のおしりを叩く棒です。
*このお話は、石徹白忠さんに聞きました。(写真に写っている男の人です)
この人