白山への道1      石徹白道から別山(2399.4m)へ
                               撮影日:2002.7.21〜22

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 石徹白は、その昔、「上り千人・下り千人・泊まり千人」と言われるほど白山信仰で栄えた集落です。
江戸時代は、特定の領主に治められたのでなく、白山登山道を守ると言う意味で自分たちで政治を
おこなっていたとされています。また当時、農民も名字帯刀が許されていたと言われます。
 したがって、石徹白は白山なくしては語れない集落とも言えます。
 そんな白山に、ぜひ石徹白から登ってみてはどうでしょうか?
 小学生たちも毎年7月に一般のボランティアの方々と一緒に清掃活動をしています

白山中居神社から車で登山道入り口まで行けます。(約15分)入り口には駐車場も公衆トイレもあります。ここから白山山頂まで約19qあります。 石徹白大杉まで石段で420段あります。約340mです。 国の特別天然記念物に指定されています。伝承では、泰澄大師がこの周りで迷っていると熊が現れ、水場を教えたことから「熊清水」という水場があります。 伝承では、泰澄大師の杖が生え付いて「大杉」になったと伝えられています。
白山へはこの石徹白道が一番長い道のりで、登り約12時間かかります。 樹齢約1800年には驚きです。屋久杉より立派だという人もいました。大人12人がかりでやっと抱えられることから、別名「十二人抱えの大杉」と呼ばれています。 白山石徹白道は泰澄大師が開いたとされています。大杉の近くには行場のひとつとして今清水社があり、ここに安置されていた仏像は、現在、大師堂に移されています。 毎年、石徹白の人々によって登山道の草刈りが行われます。地元の人は「道刈り」と言って大変な作業です。
女人禁制を犯してまで白山へ登ろうとした大師の母が山の神の怒りにふれて試練を受けた坂です。 少し急な坂道です。 大師の母が血の雨・槍の雨を避けたという伝承があります。 登山口から3qと4qの間に神鳩ノ宮避難小屋があります。(正確には3.3q)
2001年10月に完成した新しい神鳩(かんばた)ノ宮避難小屋です。 ログハウスのとてもきれいな避難小屋です。少し下がると水場もあります。 避難小屋のすぐ上にあるほこら。ここからは白山の内で、神仏の世界である上品(じょうぼん)の浄土であると信じられていました。木山三里が終わり、笹山三里に入るところです。 避難小屋前のニッコウキスゲです。
小屋の中にトイレがあります。 緊急用にテントなども完備されています。 中は結構広いです。 備品もいろいろ完備しています。
母御石(ははごいし) 泰澄大師伝説の残る石です。ちなみにここから大師の母親の衣が飛んでおりたところが御母衣だと言われています。 神から厳しい試練に遭いながらも登り続けた大師の母を大師が石を割って閉じこめたとされる石です。 大きな割れ目が山の掟の厳しさと大師の霊験のすごさを物語っています。
上部より見た母御石 母御石から見た神鳩避難小屋 銚子ケ峰(1810.4m)郡上市でもっとも高い頂上です。かつて行場があったとも伝えられています。 天気がいいと銚子ケ峰から白山連山がよく見えます。
雲石ももすり岩 これが雲石ももすり岩 一の峰山頂(1839m) 一の峰から見た二の峰方向の景色
鬼の鼻面岩 二の峰山頂(1962m) 水呑釈迦堂跡(水呑権現社跡):かつては神鳩社と別山社との間の大切な行場で、釈迦如来誕生像が祀られていました。この仏像・仏具は現在、大師堂に安置されています。 水呑釈迦堂跡から見た三の峰方向の景色
水呑釈迦堂跡を示すほこら 三の峰方向の景色 三の峰避難小屋 避難小屋の裏には太陽電池パネルが、しかし、小屋には電灯はありません。
避難小屋前の道標。室堂まであと10q 避難小屋前の道標。鳩ケ湯新道からからも登れる。 三の峰の頂上(2128m)避難小屋から登り約7分ほど。 頂上は、石徹白登山口から9qある。
ニッコウキスゲのお花畑(その1) ニッコウキスゲのお花畑(その2) 御手洗池(みたらしいけ)天気が良いと池に別山が映る。 御手洗池の道標
別山への登り。結構きついところ。 別山神社。別山大行事・本地聖観音が祀られ、御前峰奥ノ宮、大汝社と共に白山信仰での白山三社の一つです。 別山の道標 別山から見た御舎利山(おしゃりやま)
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 ■白山への道2
●なお、携帯電話は、室堂の一部のみ通じます。石徹白道は2002年7月現在では、携帯電話は稜線上も通じません。(J-PHONE)
別山頂上(2399.4m)。霊峰白山は、この別山と御前峰・大汝峰の三山の総称です。